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To tomorrow From yesterday

『キングダム』

映画『キングダム』...王国(ここでは石油により出来た数十の王国を指している)
純血、閉鎖的伝統文化の継承、城(隔離された要塞)などをイメージしてしまう...。
その歴史解説から本編が始まるのは、テロの発端が何であったのか?を
思い出させるための思惑が伺える。
以下最後に、概略歴を記載する。

物語では、世界貿易センター崩壊の同時多発テロ後、
略歴に出てくるサウジの外国人居住区内で起る襲撃及び自爆テロから始まる。
のんびり野球をしている最中に銃撃がおこり、四方八方逃げ惑う住民に、
制服警官が安全な場所へと誘導し、住民を非難させたその場所で自爆、
更にけが人のための救助がはじまりけが人が集められ、調査のためFBIや警官が集まったところで、また大爆発が起る...という卑劣なシーンから始まる。
警備警官も巻き込まれた大惨事...数百キロクラスの爆撃が落ちたのと同じ規模の爆発だったとFBI本部は映像から判断する。
FBIの主人公は現地の友人から、銃撃後の惨状から助けに来てほしいと
電話をもらうが、会話中に最後の大爆発が起きる。

FBI本部もすぐに駆けつけたいところ、議員らによる危機管理委員会から、
イスラム教徒を刺激したくない...と言う理由で、反対される。
上司の黙認を得て何とか主人公の仲間4人でサウジへ入国する。
襲撃の犯人は皆死亡してしまっているものの、警官の制服を着ていた事から、
地元警官は捜査から外され、軍がまんじりともしない証拠集めをしている。
主人公等は、死体にも証拠品にも触らせてもらえず、全く捜査にならない。
猶予は5日しか無いのに....。

コノ物語の中で、見逃したくないのは、映像の中にまぎれて映るサウジの人々。
普通の人々に紛れたテロの実行者達。
映画を見ていると、ここにはテロに加担していない人等いないのではないか?
と見えてしまう程、普通の生活の中に、爆弾作りなどがとけ込んでいる。

最後のシーンでは、殺されたテロの首謀者の孫と、主人公の台詞が、
ユニゾンする...立場も環境も違うし、問題の捉えかたも違うが、
同じ台詞は、テロの悲劇が終わりの無い事を示しているように感じられた。

いつでも外から新しい風が吹きこんだ時から、始まる...。
まるで、何かに目覚めたかのように、人々は変わっていく。
物欲と権力が歯車を狂わせ、隣で笑っていた人達を、憎むように変わっていく。
人の思考は、高きから低きへ流れやすく、高い意識を維持する事は難しい。
真新しい事に翻弄される者と、古きものにシガミツキ安穏としたい者とに、
たいした違いは無い...幸せに過ごしたいだけ。
なのに、極端に強い正義感や力(権力や富)を持ってしまった者が、
彼らを二分する。
パワーゲームに巻き込んだのは?
敵味方関係なく、憎しみは引き継がれ、増殖し、新たなテロを産む。
....最大の犠牲は、子供達の未来だ。そんな未来を、終わらせる方法は有るのか?
現地制服警官とFBIの主人公がたった数日で築いた信頼は幻なのか...。

実話を元にしたらしく、最後に3人(4人かな?)に捧ぐ...と言うメッセージが
黒い画面に浮かぶ...。

新旧文化の衝突、宗教が浸透した生活、
平常のない日常、ベールに隠された表情、
願いや祈りとは裏腹に、衝突の耐えないコノ国には、
光と影がハッキリと存在する。


=略歴=
1932年
イプン・サウードはワッハーブ派の協力でアラビア半島を制圧し王国を建国。

1933年
王国は井戸を掘削中に黒い水を見つける...石油の発見だ。
国王イプン・サウードは、ワッハーブ派が求める原始イスラム教への強硬的回帰や反欧米の声をよそに、石油の生産を欧米に許可する。

1938年
サウジアラビアと米国は共同石油会社を設立し、労働者のために、外国人居住区を作る。ここでは、厳しいイスラム法も適応外...(目の前に異文化が現れるのだ)。

1945年
エジプトでの会談でサウード国王は当時のルーズベルト大統領にこう話す。
『アメリカが歓迎されるのは、サウジを守ってくれるからだ!』
王国は石油による富で浪費を重ね、イスラム保守派の信頼を徐々に失っていく。

1970年
中東戦争勃発(ユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ諸国との戦争)
このとき米国は後発ながら、英国や仏国と共にイスラエルを支持。
このことで、サウジは石油産出停止、輸出禁止を世界に向けた。
世界的に石油価格が4倍に跳ね上がる...いわゆるオイルショックだ。
世界の勢力図に変化が起きた瞬間と言える。
そしてサウジアラビアを含むアラブ側にはソ連が支援し、
代理戦争とまで囁かれた。

戦争の中心となるパレスチナは、長くイスラム国家の支配下に有りながらも、
ユダヤ人とアラブ人は互いに互いを認め合いながら共存してきた。
このバランスを崩したのは、第一次世界大戦イギリスとフランスによる
植民地化が進んだ頃の海外ユダヤ人達による帰還運動である。
植民地パレスチナに世界中からユダヤ人が入植して来たのだ。
急増したユダヤ人達は、欧米白人と同化が進みすぎていたせいか、
元々いたパレスチナ人やユダヤ人とも友好をの望まず、
自分たちだけの楽園を求める。
ついには、今まで仲良く暮らして来た元居のユダヤとアラブの間にも影響し、
長い友情は失われていった。...これが本当の失楽園だ。
第二次世界大戦ナチスによるユダヤ人虐殺は、多くのユダヤ人のパレスチナへの
難民移動に拍車をかけ、イギリスは入植を制限したが、その度にテロに合い、
お手上げ状態となり、国連に問題を提訴する事となる。
1948年イスラエルの建国をユダヤ人は宣言するが、アラブ人側との武力衝突は、
収まる事が無かった。そして、アラブ諸国との-中東戦争-の勃発である。
1981年イランイラク戦争
イスラム革命(イラン国内によるイスラム原理主義による政権奪取...
...国王追放)により、脅威を目の当たりにしたアラブ諸国の王室は、
イラクを最前線にイランと全面戦争をする。
この時、米国もソ連もこぞってイラクに支援した。

1990年イラク軍がクエートに侵攻した時、オサマビンラディンは、祖国サウジを支持し、アフガニスタンからの派兵を申し出るが、サウジが選んだのは、50万人の米兵だった。....翌年湾岸戦争に突入。
この頃から、オサマビンラディンは、祖国サウジ王国を酷評し、
米国との関係を神聖ではないを非難し始める。...世界中でテロが勃発し始める。
この動向から、監視されていたオサマビンラディンは、とうとう祖国サウジアラビアの国籍を剥奪される。

世界貿易センターが崩壊した時、
ハイジャック犯19人中15人はサウジアラビア人だった...。
これに困惑したサウジアラビア王室は、アメリカの敵になる事を恐れ、
『王室は同時多発テロを許さない!彼らは、イスラム教徒ではない!』
とコメントする。

保守派から過激派へと変貌するワッハーブ派と親米王室との対立は、
このテロにより表面化し、伝統と近代化の激しい衝突が
この国では混沌と日常化していった。

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by marquetry | 2008-10-15 15:20 | 映画、書物
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