抑止力信仰を止められるか?
Excite エキサイト : 社会ニュース
戦争の放棄も非核三原則も無くしてはならない日本の誇れるものだと思いますが、一方で、現状微妙なバランスを保つことになってしまった核...持つ事でバランスが取れているとさえ言われ、核保有国は増えている。 いっそ、核が無ければ、武器にはならない...一掃出来ればそれにこした事が無い。 だが、一度持った保険を、捨てることは可能だろうか? 世界同時に事が起きなければ、一掃とは言い難い。 核を保有している国は、核の威力を知ってる上で持っている。 核のエネルギーは莫大で、効率的な動力源にもなる。 が、一方で、原子力というエネルギーは、いつでも武器に代えられる...とも言われている。本当に、核を廃絶したかったら、エネルギー問題も含めて、廃絶すべきではないのか? また、もし、それが可能になったとしたら、それは、核に変わるものが出てくる事を意味するのではないか? 結局は、鬼ごっこのようなものかもしれない...これを止める為には、科学の進歩や発見時に相殺するものをペアーで見つけなければいけないようにしなければ、止める術が無い。放射能の恐怖には電子の欠損を止める術が無ければ、核を使う事を科学者は認めるべきではなかった...と思うし、自然に返らない...分解出来ない素材を製品すべきではない...。生と死が背中合わせのように、発見も、発見したものの存在と、それを打ち消すものとを一緒に発見しなければ、発見した事にならない!と言うようにすべきではないか?それが、本来の抑止力バランスだと言えないか? それが本当の発見であり、科学の進歩ではないだろうか? 自然の世界に習えば、自ずと、そうゆうことに気がつきそうだが...。 悲劇を繰り返さない為にも、もう一度、抑止力を考えるべきだと思う。 できれば、武器を互いに持つ事でバランスを保つと言う事をしないように...。 変な考えですが、日本は、拳銃を持つ事が出来ません。 そんな日本でも犯罪は起きますが、銃で無造作に殺害されると言う事件は少ないはず。持たない事の安全を知っているのは、日本人だけです。 国民が、持たない事の安全に埋もれている気もしますが、一人一人の意識が、今までずっと銃を持たない事を何気に、健気に守って来たから出来る事です。 一度持ってしまった武器を捨てる事は勇気が必要です。 日本は戦争に負けた事で、強制的にそうされましたが、その結果が今に至ります。 過ちも、悲劇も体験した日本だけが、語れる事だと思うんですよね...持たない事の苦しさ...それが如何に大変かってこと...そして、それが如何に大事な経験かってこと。 国防に必要だと言われる核抑止力...でも、出来れば、そんな事にならない事を祈ります。世界から、戦争が無くなる日を願って...。
by marquetry
| 2009-08-09 15:06
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