To tomorrow From yesterday

出口の無い答え....。

Excite エキサイト : コラムニュース

死刑についての是非に正解など無いと思う。
死刑が、極刑だという認識すら、私には疑問ですから...。

「死んで償うのは当然」とも思うだろうし、
「凶悪犯罪者を税金で養うのはおかしい、即死刑執行するべき」という気持ちも解る。犯罪の内容によっては、一日でも早く死んでくれなきゃ、安心して外に出られない!なんて事まで感じるかもしれない。

しかし、
「死んで償える罪などない。生きているからこそ償えるのではないか」...という意見には、どうだろう...生きて償いが出来るなら、生きる価値があるかもしれない。
被害者が、許してくれる日が来ると思えるなら、生きていけるかもしれない。
でも、生きて償いなど出来るだろうか?
私が被害者家族なら、絶対に許さないだろうし、私が犯人なら、絶対許されない事を理解しても尚、償わなければならない状態のほうが、死刑よりも厳しい刑のようにも感じます。...いっそ、死刑にしてくれ!...と言うかもしれません。

死刑囚になってはじめて生きとし生けるものを愛おしく感じたという記述がありますが、そう思って死ねるなら、まだ救われる。
逆に、死刑が無くなり、ただ監獄に監禁されている生活のなかで、同じように、殺人犯が感じる事が、出来るだろうか?反省も、愛しさも感じないまま、もしも死ぬまで収監されるなら、それこそ、税金の無駄遣いではないのか?
はたまた、罪を背負って生きる事自体が刑に当たる?と考えるなら、監獄はいらない。世間に放り出せばイイ。

死刑囚は、死を目の前にして、はじめて実感したとも記述されています。
また、真実は見えないとも、記述されています。
勿論、一概に結論づけられる事ではありません。
でも、死刑を極刑だと考えられるのであれば、
死刑の存在があるのと無いのとでは、やはり、違うのではないか?と感じるのは、私だけだろうか?

人権の尊重や保護は、命を守るという事だけを示しているのだろうか?
人が生きると言う事は、命があるだけで価値があるのだろうか?
それならば、何故人は尊厳死を望むのか?
なぜ、自殺をしたくなるのだろうか?

私は、常々ポックリ死にたいと願っています。
病気で長患いしたり、ジワジワ蝕まれたりせず、ポックリ逝きたいと。
笑って、元気だったのが、急に、ポックリと...。
惜しまれたいから、とかじゃなく、最後の最後まで、私らしくあるために、
出来るだけそうでありたいと思います。...もし、同じように感じる人がいるなら、本来犯人の人権を尊重しているのは、死刑かもしれない...。
死刑囚も言っている、悟りを開いて処刑されても、それは犯人の自己満足で、遺族にとっては不愉快な事じゃないかと...。
死んで楽になれると思うなよ!一生苦しんでもらう!と言うのであれば、無期懲役や釈放は、逆に犯人にとって、死刑よりも酷い地獄の世界かもしれない。
何を基準にするのかで、変わる正義...ならば、犯人個人個人で、極刑も変わるのではないか?そして、人権の保護も個人個人で変わるのではないか?
ならば、一律に死刑廃止を勧めたり、死刑を極刑と考える事自体が、実は、問題ではないのか?永山基準を判例とする事も含め...疑問はつきない、私です。
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by marquetry | 2009-03-19 23:32 | Track Back
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